現在は日記とssのみで進行中...

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一期のルルーシュを振り返って考察。
主人公としての彼を客観的に。
最初はちょこっとメモ程度に書いてたのに、うっかり長くなったので、折り返しときます。
管理人のルルーシュへの愛情は、主に「喝!!」でできてます。
若気の至りは理解した上で鞭を振るってます(ご注意を)。
あと、拍手の方で「プレミアが当たった!」と報告くださった方に取り急ぎ!!
おめでとうございます!!(叫)
行けないミレイユの分も存分に楽しんできてくださいね!
ネタバレなんて投下してもらえたら、悶え苦しんで喜びます(どっち)。
ジノスザ的な絡みとか、シュナスザ的なネタとか!
いえいえ、でもホントに!楽しんできてくださいませ><。
作業の方は今またジノスザ書いてます( ま た か )。
やー・・・なんかもう普通にジノスザ(笑)。
自重しなきゃな!なんて思ってた自分は銀河の彼方です。
二期始まったらどうなるか分からんからこそ、今やるんです!
後一ヶ月かぁ・・・。
情念のまま突っ走るけど、ついてこれる奴だけついて来い!(超エラソー)
・・・嘘です、ついてきてくださいm(_ _)m
白黒つけるだけが全てじゃない。
灰色だって必要なんだよ、人生には。
・・・と、漸く悟ったのは割りと最近の話であります(遅)。
別に二元論的に物事を考える性格でもなかったけれど、真実はいつも一つ!(笑)と思い込んでいた節はある。
信念や理想を過剰に抱いて、それが強さだと信じていた。
流されるように生きる人間にだけはなりたくなくて、誰かさんではないけれど緩やかに死ぬくらいなら、何かを勝ち得て死にたかった。
歴史に名を残す偉人になりたかったわけではないけれど、己の中で何者にもなれず老いて行くのは耐えがたかった。
世界は欺瞞に満ち溢れているように見えたし、酷く歪んで見えた。
善悪ではなく、自分は自分の正義を持って世界を見れると思い込んでもいた。
だからこそ何かを成し得ると本気で考えた。
その一方で周囲から受ける恩恵を享受するだけで生きていて、口先だけの自分も自覚していたから苛立って外へ外へと出て行った。
置かれた環境をひどく窮屈に感じて息苦しくていたから。
一方で自分自身に失望したり、乱暴な思考に陥ったり。
借り物の知識で理論武装して、相手を論破するばかりで、労わりって言葉を知らなかった。
まあ、それが中高生の頃。反逆真っ盛りの時代。
あー、あれが世に言う中二病かと。
買ってきたギアス小説読んでて不意に懐かしく思い出したわけです。
今考えると猛烈に恥ずかしいですね(乾いた笑いが・・・)。
でも割りと誰もが通るような道でもあるんじゃないかと。
そして、そういう気持ちは消えたわけではなく、諦観とも違う形でストンと自分の中に居場所を見つけたわけです。
諦めじゃなくて、相対的に自分と世界を見ることができるようになること。
燻ぶる義憤はそのままに、まずその灯火を照らすべき場所を探せばいい。
壊すためじゃなく、包み込むために。
それが大人になるってことかもしれません・・・なんて、エラソーに言ってみる(笑)。
何故こんな話を唐突に始めたかというと。
ギアス見始めた初期にできていたルルーシュへの感情移入が最近怪しくなり、小説を読んでいっそう怪しくなってきたからです。
もちろん、俯瞰としての移入という意味で。
上記のような経緯もあって、ルルーシュの気持ちが多少なりとも共感できるものであった序盤。
理解できるという意味では、スザクよりルルーシュに近かったと思う。
私に限らずそうだと思う。根拠は、
①加害者意識に苛まれてるスザクというキャラは、実はそう簡単に感情移入できる人格ではない。
②逆に、被害者意識の強いルルーシュは主人公としては適役で、誰しもの心にある鬱屈とした感情を体現している。
という、二点から。
スザクを嫌いな知人曰く、スザクは偽善者に見えるらしい。
ちなみに私にはどちらも偽善はあるように見える。
逆に言うと、偽善的でない人間なんてものは存在しない。
偽善の定義がそもそも他者からの視点によるところが大きいからだ。
誰かから見ればそりゃ一人くらいには偽善と言われる。
そう、とにかく。ルルーシュの主張は理解できるものだった。
あの年頃を考慮すれば、ハッキリ言って「そんなもんか」と思う。
そんな中二まっさかりの主人公があんな力を得たらどうなるかも、大体「ああ、そんなもんだよね」という感じ。
必要悪だの、ピカレスクだのと言いたがるのもまあオケ。
ナナリーを生きる意味にするのも、経緯から言って分からなくはない。
全てに余すところなく甘えが目立つけれど。
C.C.のナレーションにもあったけど、幸せになろうとすることは悪いことではないから。
だから、客観的にイタイ言動でも、それはルルーシュの自由だし、権利だと思ってみていた。
いつか振り返った時、己のしたことに気付けばいい。
それが人間というもので、それらを恥じて、悔いて、ようやく成長が始まる。
ルルーシュはこの物語を通じて、いずれそういう心境になるのだろう。
ギアスというよくできた物語は、単に「この世界は間違ってる!正してやる!」っていう盲目的な馬鹿話では終わらないはず。
頭に血の上った反抗期の子供の作文じゃなく、私なんかより遥かに人生を分かってる本物の大人が作っている話なので。
しかし、・・・。
ユフィーの件までに、実にいろんなことがあった。
なのに、25話のラスト。
スザクと撃ち合うルルーシュは、1話から・・・下手すれば十歳の時から、何も変わってない。
それとも二期で怒涛の展開(ルルーシュの精神内で)なんだろうか。
でなければ、デスノよろしく、最後まであのまま中二病で突っ走って、断罪エンド?
それとも、裏を掻いて、「え、ルルーシュって何か間違ってた?」オチ??
まさかー、と笑ってみながら、顔が引き攣ります。
友人曰く、「いや、夢オチでw」(明らかに禁じ手)。
作品の疾走感も演出もすごいなあと思うけれど、その点が引っ掛かる。
萌えを除けば、そこを一番、二期に期待してまふ。
反逆じゃなく、ルルーシュには是非そこを頑張ってもらいたい!
あとね、ダブルオーも見てるから余計に思うんです。
自分にとっては悲惨な世界でも、幸せに生きている人間はたくさんいる。
例えば、ワン・リューミンの台詞にあった「私はただ、この世界が変わりさえすればいいの」という言葉。
何があったかなんて知りません。
どんな悲惨な目にあったのか、あっているのか分かりません。
けどね、その裏で、恋人の家族と腕と、たった一人の肉親を奪われたサジが泣いている。
・・・そういうことだと思う。
小説版を読んでいて改めて全話を頭の中に思い起こしてみながら、
ルルーシュは、いつになったら人の痛みに気付くんだろうなあと思った。
(基本的に今のルルーシュは、他人の痛みじゃなく、己に波及した部分の痛みしか感じてない)
前述のスザク嫌いの知人は、25話まで見て「スザクよりルルーシュが嫌いになった」と憤慨していたけれど、かえってその怒りようを見ていて、冷静に「まあ、そういう年頃なんだから」とかおかしなフォローを入れてしまった(まるで、最終回のナレーションのように)。
気付けなければ、ルルーシュは全て失うことになる(現実なら確実に)。
現に、25話ラストで彼の手に残ったものって何もない。
(ナナリーは行方不明、スザクには捨てられ、C.C.は自分のために犠牲に、カレン・・・が一番かわいそうだった)
小説の中でスザクに「大切なものは一つでいい」と言っていたけど、それすら守れてない。
というか、大切なものがナナリーじゃなくて自分自身になっていはしないか。
その根本の原因に、
いい加減に気付けよ、コノヤロー!!(本音)
と叫びたかったんです、ええ。はースッキリした。
別にその知人のようにルルーシュに断罪エンドで死んでほしいわけではなくて(苦笑)、気付いてほしい。
そして、今からでも遅くないからもう一度踏みとどまって、その辺のことを考えてほしい。
失敗から学ばないなら、ただのバカですヨ★
もう一つ、これもよく言われてる話を。
私はルルーシュとスザクが和解する必要はないと思う(実際、そんなことされたら気持ち悪い)。
というか、どうやったって無理だろう。
ルルーシュの罪は贖えやしないし、ユフィーも帰ってこない(ドラゴンボールじゃあるまいし)。
第一、スザク自身がルルーシュの本質を見てしまった。
情は残ってるかもしれないけれど、本人も言ってるように、スザクにとってルルーシュは“必要ない”。
だから、許し合う(合う?)必要ないのでは、と思います。
それぞれが全く違う場所で、違う方法で幸せになっていけば、一視聴者としてはそれでいいです。
幼馴染とか、初めての友達とか。
正常な人間の育成過程で、それは通過儀礼に過ぎないのだから、固執し過ぎていたのがそもそも異常なんですけどね。。
そんなわけで、自分の中でのルルーシュは黒じゃない。灰色です。
限りなく黒に近い灰色で踏みとどまってます。
二期まで一年あった設定らしいので、ルルーシュも考える時間は十分にあったはずなんですが。
もう18歳なんですが。
二期のCM見てると、限りなく不安です。
“少年は世界に宣戦布告する!”・・・これ、少年=ルルーシュなら、一言ツッコミたい。
え?おまえ、25話かけてやってきたアレは何だったの、と。
始まった瞬間に灰色が真っ黒になって、メーター振り切らないように祈ってる。
結局ギアスが終わってしまった後に、脳内ギアスでスザクが主人公(つまり、ルルーシュの存在を脳内否定)になっていないといいな・・・。
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