現在は日記とssのみで進行中...

×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
“ギアス掛けられるくらいならいっそ死んでくれないか?”
今日・・・近所の本屋で公式小説を立ち読みして来ました。
え?買えよ??・・・財布忘れたのです(実話)。
※以下はほとんど頭の中整理するための独り言みたいなもの
ルルーシュはもちろん、スザクにも厳しいところが有ります(枢木が好きだからこそ)。
***
二期のスザクの心境を理解したくて目を通したラスト周辺。
20ページくらいしか読んでないのに、2,3回泣きそうになった。
特にラスト。
スザクは、ルルーシュが憎くて堪らなくて引き金を引いたのかと思うと、不思議な気分になった。
安心したような、遣る瀬無いような。
そのどっちもが同時にこみ上げてきた。
安心したのは、スザクが単に激情に駆られて撃ったわけじゃないと分かったから。
もちろん感情的なシーンではあるけど、自分を見失ってしたことではない。
「初恋だった」なんて下手な言い訳もなかったし、“憎くて”というハッキリした動機は、ギアス世界では逆に当たり前で健全な気さえする。
というか、一期を通じて「そんなつもりじゃなかった」事件が主人公近辺に多発していたせいかもしれない★
・・・そんなつもりじゃなくてウッカリ殺されるより、明確な理由と動機があって殺される方がまだ納得がいく、と私などは常々そう思うわけです。
なにせ殺人事件で一番辛いのは、犯人が捕まらないことじゃない。
動機がなかったり、その動機があまりにも的外れで正当性がないことだ。
不条理というものが、人間の最大の病巣といえる。
一方で、遣る瀬無いなと思ったのは、大切だと思っていたものをスザクは自分の手で暴いて、壊さなければならなかったこと。
小説版で解釈すると、父親を殺した直接の起因はナナリー・・・引いてはルルーシュ兄妹を守るため。
そんな父親殺しの起因でもあるからこそ、強迫観念的に、より大切だと思い込もうとしていた節もあるんじゃないだろうか。
実際、大切ではあっただろうけれど、それ以上、過度に思い込んで、壊さないように、触れないようにしないと、スザクは自分の罪の免罪符を壊されると、本能的に知っていた。
そう考えると、スザクは一期の最後。
ルルーシュを全否定することで、初めて己の罪を全面的に“過ち”として認めたことになる。
7年間、父親殺しで苦しんできたのは確かだけれど、それでも二人の兄妹が幸せであってくれるなら、己の罪にも価値があると思えた。
ナナリーのため、というのは、ルルーシュの常套句であるけれど、スザクもそれに関しては似たようなところがあったんじゃないだろうか。
共依存ではないけれど、ルルーシュとナナリーのため、というのが、他の誰のためよりも、特別な位置にあったのだと思う。
だからこそ、贖罪をするために生きているくせに、一話でアッサリとルルーシュのために命を投げ出せた。
あの時感じた違和感はそういうことなんだろう。
自分の上に世界が、その世界の上にルルーシュはいた。
ルルーシュたちの幸福はスザクにとって最早義務だった。
そうでなければ、ならなかった。
だけどそうではなかった。
ルルーシュは初めからスザクの世界に“存在してはいけない”ものだった。
きっと、スザクがいった「おまえの存在が間違っていたんだ!」というのはそういう意味。
それは“ルルーシュが存在したことが”、ではなくて、“ルルーシュという存在を受け入れた自分”と“自分の中で罪の代償として異常に膨れ上がってしまった存在としてのルルーシュ”なんだと解釈してみる。
ギアスをよく知らない友達に「スザクはどうしてルルーシュを撃ったのか」を何度か訊かれた。
「ユフィーを殺されたからそんなに憎くなったのか」と。
「スザクは結局どうしたかったの、何が大切だったの」と。
いつも、だいたい23話~25話を説明するけれど、何かしっくり来ないまま、逆にこっちが悶々としていた。
ここのところ、書こうとして違和感を感じてやめてたのも、そういうところ。
小説を読んでみて、少しは何か分かって来たような気がする(気がするだけ)。
その答えが↑になるんじゃないだろうか。
きつい言い方をすれば、ルルーシュもスザクも割りと自分勝手なところがあった。
もっと限定して言うなら再会したことが、過ちだった。
17歳のルルーシュは自分に都合のいいことばかりを勝手に妄想して、それをスザクに当然のように押し付けてきた。
17歳のスザクにしてみても、二人が幸せそうだという事実を目にすることで救われようとしていた部分はある。
純粋にお互いを“友達”として見ていたのは、実は10歳のあの夏の日までだったのに。
嘘を塗り固めて、思い出を生かそうとし続けて、破綻。
ようやく気付いて、世界の上から引き摺り下ろして並んでみたルルーシュという等身大の同い年の男は、スザクにとってみれば、“友達”なんかじゃなかった。
こんな男のために、父親を殺した。
こんな奴のために、ユフィーは死んだ。
こんなモノのために、今この瞬間もトウキョウ租界で多くの人が死んでいっている。
こいつのエゴとプライドのために、世界は破壊されようとしている。
そして、それをここまで許してしまったのは、紛れもなく、自分自身。
自分が七年間必死に贖罪しようとし、そのために守ろうとした世界。
それを独り善がりで壊そうとする男。
初めて心から敬愛した女性を、それも兄でありながら、親友の恋人と知っていて、撃った男。
憎い仇で、敵だった。
おまけにルルーシュは「贖罪など、後でいくらでもできる」と言った。
これは、スザクの七年間に対する全否定だ。
“僕”というスザクを完全に否定している。
まあ、その直後にスザクもルルーシュを全否定し返してたけど(苦笑)。
結局、二人は“友達”ではなかった(17歳時点で)。
その結果を“憎しみ”と呼べるのか。
やっぱり適切な言葉が見つからない。
この作品は勧善懲悪じゃないらしいし、どっちも別に正義とかではない。
ただ、この二人に共通して感じるのは、強烈なまでの自己愛だ。
その表現手法が極端に正反対なだけで。
そんな中、先に変化が生まれたのは、スザクの方だった。
変化を加えたのは、ロイドさんやセシルさん、それに誰よりユフィー。
スザクはそういう意味で人に恵まれていた。
ロイドさんは薄々勘付いていたスザクの歪みを真っ向から指摘してくれたし、
ユフィーは曝け出した過去の罪を逃げずに受け止めてくれた。
それは、彼らが、他人を愛することを知っている人間だったからなのかもしれない。
スザクを愛したから、スザクを変えることができた。
スザクの罪を聞いてもきちんと向かい合うことをしなかったルルーシュは、スザクを愛していなかったし、愛することを理解していない。
そんなルルーシュを、スザクもきっと愛してはいなかった。
だから、二人は撃ち合う結末しか持ち得なかったのかもしれない。
愛することを知らなかったから、殺し合うことになった。
お互いを愛し過ぎたからじゃない。愛憎でもない。
うまく言えないけれど、愛せなかったからだと思う。
ハッキリしていることは一つ。
どちらがスザクにとって“必要”な存在だったかなんて、愚問だ。
大事だったかじゃない、必要だったのは、ユフィーだった。
さて、二期。
いろいろ噂はあるけれど。
スザクにとってのルルーシュは、ある意味、消えたんじゃないだろうか。
膨れ上がって肥大して、スザクの心の中の何かを圧迫していた存在が消え去った。
懐古と友愛という服を着て、ルルーシュという名前をしたスザク自身の“自己愛”を、スザクは撃ち殺せたんじゃないかと思う。そう願う。
なら、解き放たれたスザクはどう行動するのだろうか。
免罪符を失った罪をどう捉え直すのか。
願わくば、間違った方向へその思いを向けてしまわないように。
ユフィーを殺された憎しみもあるだろうけれど、それと贖罪はどうか違う場所にあるように。
そして、今度こそ、ちゃんとした愛情や友愛に恵まれて、きちんと愛し愛されますように。
そう願って止まない。
なにせ、考えみたら、スザクはルルーシュ以上に身内の愛情なんて無縁に育ってるし、初めての友達はああなってしまったし・・・。
特派が家族に、ジノがスザクの、本当の意味での初めての友達になってくれることを期待してます。
あぁ、もちろんジノは友達以上でも可!(・・・)
よし、ちょっと方向性見えてきた気がする!
PR
この記事にコメントする
