現在は日記とssのみで進行中...

×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
破壊から始まる創世の末路は破壊でしかない。
ガンダム00最終回感想をダラダラと。
いろいろ笑えるポイントが多すぎて、もうどうしていいのか分からない感じですが、取り敢えず、ハムの人とアレルヤが心配。
最後の「ハレルヤ・・・」が切な過ぎて、ダブルオーで唯一くらい、素直に切なくなった場面。
どうやら、私は不幸体質なキャラが好きなようです。
幸せになってほしくて目が離せない・・・。
あと、特筆すべきはアレハンドロの自爆でしょうか。
あれって、自分でモニター殴ってじb・・・(きっと誰もがそう思った)。
アレルヤのオールバックとか、「正しく愛!」とか、もういろいろ。
ダブルオースタッフの着地目標が分かりません(笑)。
けど、そんなところは大好きだ!(ええええ)
ガンダム00最終回感想をダラダラと。
いろいろ笑えるポイントが多すぎて、もうどうしていいのか分からない感じですが、取り敢えず、ハムの人とアレルヤが心配。
最後の「ハレルヤ・・・」が切な過ぎて、ダブルオーで唯一くらい、素直に切なくなった場面。
どうやら、私は不幸体質なキャラが好きなようです。
幸せになってほしくて目が離せない・・・。
あと、特筆すべきはアレハンドロの自爆でしょうか。
あれって、自分でモニター殴ってじb・・・(きっと誰もがそう思った)。
アレルヤのオールバックとか、「正しく愛!」とか、もういろいろ。
ダブルオースタッフの着地目標が分かりません(笑)。
けど、そんなところは大好きだ!(ええええ)
ここからちょっと真面目な話。
ちょい厳しめ。
ダブルオーはどこへ行こうとしてるのか。
せっちゃんが、根本的なところ、全く進化していないことを突きつけられた25話。
続編で大どんでん返しでも来ない限り、私的にはあまり期待はできない感じになってます。。
アレハンドロとの問答、グラハムとの会話。
マリナへの手紙。
それっぽいこと言ってるけど、実は中身のない話というか。
論理破綻し過ぎていて、しかも結論のない話というか。
今まで24話掛けて何がしたかったんだろうなーと思ってしまいました。
武力による戦争の根絶。
その発想は面白いと思うし、実際、現実にも試みられている施策。
けど、物語には(一応)主人公がいる。
そして、物語であるからには、そこに人間の葛藤があり、そのような手段を用いることを通じて与えられる内面の変化がある。
終盤前辺りまではあったと思うんだけど、終盤の感情的なシーン(やたらとキャラが死ぬという)の連打でなし崩し的に誤魔化された感が。
せっちゃんは気付いているのかな、自身の歪みに。
行き過ぎた信仰が内紛を誘発することは、グラハムにも指摘されたとおり、せっちゃんだってよく分かってんだろうに。
ガンダムに対するせっちゃんの感情は、妄信と言われても仕方ない。
人が争うのは、信仰のためじゃない。大義のためでもない。
それは謂わば副産物。結果の余剰に過ぎない。
信仰も、ガンダムも、同じことなんだと思う。
争う人々にとって、それは都合のいい道具で、手段で、言い訳にしかならない。
また、せっちゃんの決定的な矛盾は、戦いというものに対する意識そのものにあるのかもしれない。
『CBは戦うことしか知らない俺に、戦う意味を教えてくれた』
と言っていたけれど。
戦うことに意味なんて、ないんだと思う。
あるとすれば、それは正当化だろう。
そもそも、他者には戦うなと言っておいて自分は戦っていいだなんて、そんな理屈も通るまい。
自分の戦いには意味があって、他者のそれには意味がないなんて、本人以外誰も認めない。
エゴだというのならば、それこそが究極のエゴだ。
だから、せっちゃんの25話の台詞は何一つ真に訴えかけてくるものがなかった。
マリナへの手紙でも思ったんだけれど、せっちゃんはもう少し内省した方がいいんじゃなかろうか。
自身の中に何一つ答えを求めようとしない人間は、何も得られないと思う。
そして同時に、せっちゃんは生い立ちからして仕方ない部分もあるだろうけれど、あらゆる人ともっと話すべきだったのだと思う。
価値判断の基準があまりにも偏りすぎていて(最初は宗教、次にガンダムとCB)、自分と全く違う生き方をしている人間の心情を推し量る能力に問題を感じる。
何故、人には無意識の悪意があるのか。
何故その悪意に気付こうとしないのか。
何故、人生すら狂わせる存在があるのか。
何故人は支配し、支配されるのか。
何故傷付け合うのか。
なのに何故、人はこうも生きようとするのか。
なのに何故、人はこうも生きようとするのか。
・・・その答えは、素材がないのに考えたって仕方ない。
彼はもっと多様な価値観と世界観に触れるべきだった。
今のせっちゃんが何を言っても、ものすごく偏った物の見方としか言えないし、それで「この世界は歪んでいる」なんて言われたら、「おい」と言いたくなる。
どんなに薄汚い路地を歩いていたって、ふと見上げた壁の割れ目に、眩しいくらいのオレンジのタンポポを見つけたら、それだけで嬉しいじゃない。
暗いビルの間から見上げる夏の空って、すごく綺麗じゃない。
見知らぬ人が雨に濡れていたら傘を差し出させばいいじゃない。
それで自分が濡れたって、その人が喜んでくれたらいいじゃない。
綺麗事だって言われたって、気付くか気付かないかの違いだと思う。
気付けば、それだけで幸せになれるんだから、試しに一回やってみればいい。
隣にいる人にちょっとだけ優しくする。それだけで、世界はきっと優しくなる。
そういうことじゃないのか、と訴えたい。
なので。
自分にとって間違っている世界なら壊してもいい、なんて私は許せない。
私は「破壊と再生」とか「破壊から生まれる~」とかに、最近激しい嫌悪を覚える。
結局、壊すことよりも、創ることの方がずっと難しい。
守っていくことの方がよほど難しい。
その中に間違いがあるのだとしたら、それは人が、人であることの証明である『智慧』を持って変えていけばいい。
それを放棄するのなら、それこそが絶望だ。
せっちゃんは、それこそを悪意とは思わないのだろうか。
分かり合いたいと心から思うなら、もう少しだけ考えてみて欲しい。
自分と全く違う世界に生きている人の痛みを。
戦いと破壊が生む結果を。
その上で出す結論なら、どんなものであろうと見守りたいなあと思ってます。
そんな感じにモヤモヤしつつ、ダブルオーも二期に持ち越し!
地球連邦とか、その軍も出てきて、いよいよこれからが本番ってとこでしょうしね。
個人的にもその辺りに興味があります。。
国連の枠組みに物申す!という皮肉演出があるのかどうか。
皮肉るだけじゃなく、是非、前向きな提案を盛り込んでいただきたいですが!
素直に期待してます(かなり穿ってるじゃないか)。
以上、25話の簡易感想でした。
また、何か思い出したら書くやもしれませんが、ええ。
PR
